URBANER ESSAY|「自分」は、どこからできている?

【誰かの言葉と、今日の選択のあいだで】
久しぶりに昔の写真を見ると、少し不思議な気持ちになる。
まるで、自分ではない誰かの写真を覗いているような感覚。
写真の中にいるのは、間違いなく自分だ。
けれど、今なら選ばないような服を着て、今とは違う髪型やヒゲをしている。そこに漂う空気まで、今の自分とはどこか少し違って見える。
しかも、写っている本人は、それを気に入っていたような表情をしている。
あるいは、そのときは確かに、それが自分に似合うと信じていたのかもしれない。
当時よく一緒にいた恋人や友人の影響だったのか。
雑誌で見た誰かに憧れていたのか。
「似合うね」と言われた一言を、ずっと覚えていたのかもしれない。
写真の中にいるのは、他人ではなく自分だ。
それでも、ときどき思う。
あの頃の自分は、どこまで自分で選んでいたのだろう。
【「似合う」と言われたもの】
誰かに言われた何気ない一言が、思いのほか長く残り、その後の選び方を変えることがある。
「その色、似合うね」
「短い髪のほうがいい」
「そっちのほうが、あなたらしい」
最初は、ただの感想だったはずだ。
けれど、褒められた色を以前より選ぶようになり、髪を切るときには同じ長さを頼むようになる。
「自分らしい」と言われた姿を、いつの間にか自分でもそう思うようになる。
では、誰かの言葉をきっかけに始まったものは、本当の自分ではないのだろうか。
そう考えると、答えはそれほど簡単ではない。
人は、誰の影響も受けずに生きているわけではない。
家族や友人、恋人、仕事で出会った人。
街ですれ違った知らない誰か。
映画や音楽、雑誌、SNS。
私たちは毎日、さまざまなものに触れながら、少しずつ好みや感覚を変えている。
最初は誰かの真似だったとしても、何度も選び続けてるうちに、それが自分に馴染んでいくこともある。
きっかけが他者だったからといって、すべてが借り物というわけではない。
誰かから受け取ったものを、このまま残すのか。
少し形を変えるのか。
それとも、もう手放すのか。
その「選び直す」という行為の中に、自分がいるのかもしれない。
【鏡の前で考えていること】
大切な予定がある朝は、普段なら気に留めない部分が目につく。
少し伸びた髪。
揃っていない襟元。
頬に残ったヒゲ。
誰かに指摘されたわけでもない。
それでも、いつもより少し長く鏡の前に立つ。
指先で顎のラインをなぞりながら、どこまで残し、どこから整えるかを考える。
頬に残ったヒゲを少し整えるだけで、昨日までぼんやりしていた顔の輪郭が、わずかにはっきりと見える。
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すべてを剃る日もあれば、あえて残す日もある。 その違いに明確な理由がなくても、今日はそうしたいと思う。 これから会う相手を思い浮かべ、その場所にいる自分の姿を想像する。 身だしなみは、自分のために整えるものだと言われる。 |
初対面の人に、どう見られるだろう。
信頼できる人に見えるだろうか。
親しい相手の前なら、どこまで力を抜けるだろう。
人の目を意識することは、必ずしも自分を偽ることではない。
私たちは、誰かと会い、話し、関係をつくりながら暮らしている。
相手を思い浮かべて服を選ぶことも、その場所に合わせて自分を整えることも、人と生きるための自然な行為なのだと思う。
ただ、ときどき分からなくなる。
これは、自分が心地よいから選んでいるのか。
それとも、そう見られるべきだと思っているからなのか。
鏡の前にいるのは自分一人なのに、そこには、これまで出会った多くの人の視線も少しずつ映り込んでいる。
だから、自分の中にあるものを「自分で選んだもの」と「誰かから受け取ったもの」に、きれいに分けることはできないのかもしれない。
【「本当の自分」を、一つに決めなくてもいい】
一人でいるときの自分と、誰かと一緒にいるときの自分は違う。
家族の前と、友人の前でも違う。
初対面の相手には慎重になるのに、親しい人の前ではよく話すという人もいる。
では、その中のどれが本当の自分なのだろう。
もしかすると、すべてが本当なのかもしれない。
状況によって表情や言葉が変わることは、自分を偽っていることとは限らない。
相手や場所によって、自分の中にある異なる部分が表に出ているだけなのかもしれない。
自分というものが、最初から一つの形で完成していると考えるから、変わることが不安になる。
けれど実際には、私たちは出会ったものに影響を受けながら、その都度、自分を少しずつつくり直している。
誰かの真似から始まったもの。
必要に迫られて身につけたもの。
昔から変わらず好きなもの。
そして、いつの間にか合わなくなったもの。
そのどれもが、自分の中を一度は通過してきた。
それが最初から自分の中にあったかどうかよりも、
今もそれを残したいと思えるか。
そのほうが、自分を考えるうえでは、少しだけ確かなことのように思える。
【今日は、どう整える?】
朝、鏡の前に立つ。
昨日と同じ顔が映っている。
それでも、昨日とまったく同じ気持ちではない。
少しきちんとしていたい日もあれば、あえて力を抜きたい日もある。
ヒゲの輪郭をいつもより鋭く整えたい日もあれば、少し曖昧なまま残しておきたい日もある。
整えることは、正しい姿に自分を近づけることではない。
誰かにとっての理想を、そのまま自分に当てはめることでもない。
鏡を見ながら、残したい部分を指で確かめる。
余分に感じたところだけに手を加え、もう一度、少し離れた場所から自分を見る。
今の自分には、何が馴染んでいるのか。
何が、少し違って見えるのか。
整える時間とは、そのことを確かめるための、ほんの短い時間なのかもしれない。
「本当の自分」は、誰の影響も受けていない場所に、ひっそり隠れているわけではない。
人と出会い、街で暮らし、さまざまな価値観に触れる。
その中で、それでも自分は何を残したいのかを、何度も選び直していく。
その積み重ねが、今の自分をつくっている。
URBANERが大切にしているのも、そんな「選び直す」という感覚です。
整えることは、自分を別の誰かに変えることではない。
今の自分に何が馴染んでいるのかを確かめ、
残したいものを、自分の意志でもう一度選ぶこと。
「Design Yourself」という言葉に込めているのも、何もないところから理想の自分をつくり上げる、という意味ではありません。
誰かにもらった言葉。
憧れて真似したもの。
いつの間にか身についた癖。
昔から変わらず好きなもの。
そうしたものを受け取り、試し、ときには手放しながら、
今の自分に残したいものを選んでいく。
そう考えると、
「自分」は、最初から自分の中だけにあったものではないのかもしれない。
いろいろな人や価値観と出会い、
そのたびに少しずつ形を変えながら、
それでも、自分の意志で残してきたもの。
自分は、どこからできている?
その答えはきっと、
これまで出会ってきたものと、
今日、自分で残すと決めたもののあいだにある。
Design Yourself.

